「ふぅぁ―――ぁ」

無機質な真っ白いベッドで目覚めた青年は、身体を反らせながら、まだ覚めきらない瞳で周りを見回した。

可愛い小鳥のさえずりに、心安らぐ夢の世界の住人から、喧騒渦巻く現実世界に連れ戻されようとしている人物の名は、『氷川諒一』明和総合病院の内科医のDRで、巷では『日本人形』の様だと称される美形DRである。

白い壁紙、白いカーテン、そして今自分が眠っていたベッドも白。

白一色に埋めつくされたこの部屋は、諒一の勤め先、そう明和総合病院の一室である。

だが決して職務を全うして仮眠室で目覚めた訳では無い。

先日、諒一は営利目的の誘拐事件に巻き込まれ、胸部殺傷の瀕死の状態で、この総合病院に運び込まれ、同僚の当直医師達の手厚い処置のお陰で、危うくも風前の灯火だった命を取り留めた所なのだ。

「今日も、良いお天気だなぁ!」

諒一は、言うが早いかベッドから足を下ろし、窓辺に立つと、シャーッと音を立て、真っ白いカーテンを開けた。

そこには都会では珍しく成りつつある木々が立ち並び、小鳥のさえずりが、朝の到来を祝福している、かのように青い空に心地よく響いていた。

諒一が澄み切った空を見上げていると、ガチャっとドアが開かれた気配に、慌てて振り返ると、そこには両手一杯に色取り取りな花を抱えた、付き添い看護人の、ショウ

が立っていた。

この青年の名前は『宮城翔』通称『ショウ』で通っている。

ショウは清和が、諒一の為に付けたお抱え運転手で・・・

その実態は屈強なボディーガードも兼任していた。

「先生、目が覚めたのですか?」

手にしていた花を、諒一のベッドサイドに置いたショウが問いかけた。

「うん、今起きたところ」

「そうですか、もう少し眠っておられるかと思い、病室を出たのですが、出掛けなければよかったかな?」

「そんな心配しなくても良いよ!」

「でも、不審な奴が入ってくるかもしれません!」

「ショウくん、ここは病院だよ、不審な人物ってそんな事ありえないよ!」

「じゃぁ〜、先生言わせて貰いますけど、先生は何処で攫われたのか解っていますか」

「・・・・・この病院の玄関」

「正解、ご自分の勤務先だと言って、油断しないで下さい」

「・・・・・・・」

返す言葉も無い諒一である。

 

 

先日、病院内の廊下を歩いていると、急に気分が悪くなった人が居ると駆け寄って来た男性に助けを求められ、諒一は急いでその場に駆け付けたのだ。

そしてベンチに蹲っていた男性に

「大丈夫ですか? 何処か痛い所はありますか」

声を掛け病状を問い掛けようとした所で、クロロホルム付のハンカチで口と鼻を呼びに来た男性に塞がれ、蹲っていた男性にはボディブローを入れられて、諒一は意識不明のまま、その場から連れ去られてしまったのだった。

しかし、幸運な事に諒一の旦那様は、警察並みに、否それ以上に行動力の有る、組織の二代目で、積年の思い人、最愛の諒一を捜し出す為に、組織の総力をあげて救出したのだった。

だが、捜し出した時には、諒一の胸には鋭利なナイフが突き刺さり、夥しい鮮血が流れ出ている凄まじい姿であった。

そんな姿の諒一を抱き抱え、運び込んだ病院が偶然にも、諒一の勤務先の、この病院だったらしいのだが、諒一は言葉に出来ない策略を、ヒシヒシと感じずには居られなかった。

 

 

入院生活にも慣れ親しんだ頃。

諒一は、見舞いに来ていた男性に語りかけた。

「清和くん、もう一人で動ける様になったから、大部屋にでも移ろうかと思うんだけど?」

清和くんと、呼ばれているこの男性が、諒一の最愛の旦那様である。

ある組織、そう指定暴力団 眞鍋組二代目組長 『眞鍋の昇龍』の異名を持つ、長身で整った甘いマスクの美丈夫だが、発しているオーラは一般人のモノとは掛け離れ、鋭利な気を身体に纏っている、頭の切れも良く仕手戦で負け無しを誇る、橘高清和その人である。

仕事の合い間に、恋女房のお見舞いに訪れるのが、日課となっている。

いや、仕事の合間ではなく、お見舞いの合間に! 仕事をこなしていると言っても過言ではない状況だ。

「大部屋?」

「うん、もう動けるから一人でも大丈夫だし」

「如何して? ココじゃ悪いのか?」

「だって・・・・ ここの部屋代だって馬鹿にならないでしょう?

僕は、二人部屋でも良かったのに、個室。それも特別室なんて・・・」

分不相応との・・・言葉を濁した諒一に

「部屋代の心配は要らない!」

「そんな事は解っているけど・・・・・でも・・・・」

「でも?何だ、先生!」

「勿体無いよ・・・、僕なんかが、入る部屋じゃない!」

諒一は部屋を見回した。

白一色の無機質な部屋だが、病室内にバス・トイレが完備されていて、部屋の中は、宛らホテルの一室のような雰囲気が漂っている、ドアの側には、簡単な応接セット

が置かれ気持ち良く寛げる空間が用意されていた。

「どうしてだ、何が不満なんだ、先生!」

その言葉に、渋々諒一が

「だって、僕がこの部屋に居る限り・・・ショウくん、ここで寝泊りしなくちゃならないなんて・・・申し訳なくて、大部屋に移れば周りに誰か人は居るし、良いかなと思って」

「チョッ、チョット待って下さい、先生!」

慌てて口を挟んできたショウは

「先生が、大部屋に行きたくて、清和さんが、それを許可するなら、僕は大部屋でも

今まで通り付き添いますよ!」

「エーッ、そんなの悪いよ。大部屋には簡易ベッドしか無いんだよ、ショウくんを簡易ベッドになんて寝かせられないよ!」

諒一が、ショウの台詞に慌てている側で

「じゃ〜ぁ、この部屋に居ればいいだけだ、難しい事は無い。

 先生は、無事に退院出来るまでこの部屋に決定だな!」

サラリと諒一の、部屋移動の懇願を却下した清和だが・・・

顔には出さないが、胸の中ではホットしていた。

『なぜ、大部屋等に先生を入れないといけないんだ、二人部屋でも同じ事だ。

先生の身体を他人に見せられるか! 医者にさえ見られるのが不愉快なのに、

赤の他人になんか、見せてたまるか!』と言うのが清和の本音だった。

こんな会話もこれが始めてでは無い。

入院当初から、ショウが泊り込みで付き添っていたのだが、諒一はショウに申し訳なく思い、何度かショウくんを『家に帰してあげて』と清和に頼んだのだが、その度に、ショウが『先生が、無事に退院するまでお側に居ます』と言い張って、今現代に至っている。

諒一の病室で寝泊りしているショウは、応接セットのソファーがベッド代わりで、片時も離れる事無く諒一に付き添っているのである。

出来る事なら、清和自信が諒一に付き添っていたいのだが、仕事上の都合と、警備の都合上、如何しても無理な事なので、信頼出来るショウに任せているのだ。

その上、ショウ自身も本来、諒一のボディーガードと言う役目故、この役を人に譲る積もりは全く無い! 

清和がショウに「帰れ!」と言うまでは、何があっても一歩も退く気は無いのだ。

それに、諒一は気付いていない様だが、病院での諒一のボディーガードが、ショウ唯一人という事はありえないのだ、病室の廊下には絶えず、真鍋組の構成員が待機し

ていた。

そんな事には非常に鈍感な諒一は、目の前に居る、ショウの為だけに、あの手この手でショウを返してあげようと無駄な努力を試みているのだった。

「清和くん、僕は何時になれば退院出来るの?」

「さぁ〜、それは深津DRにでも聞いてくれ、俺に聞かれても困る」

「う・・・ん、そうだね。今度、回診に来た時にでも聞いてみるよ。」

「先生、そんなに俺と一緒に居るのが嫌なんですか?」

情けない声で尋ねた、ショウに

「何言ってるの? ショウくんと居るのが嫌だ!何て一言も、僕言ってないよ!」

「じゃ〜ぁ、俺がここに居ても良いですよね、先生!」

「僕は、ショウくんがこの部屋に居てくれるのは、とっても嬉しいんだけど、ショウくんが大変だと思うから・・・」

「そんな事は、気にしないで下さい、ここに居られるだけで、俺も安心できますし、もう暫らく俺と一緒に生活して下さいね」

その『もう暫らく俺と一緒に生活して』と言うショウの言葉に、眉間に怒りマーを

貼り付けた狭量の清和だったが・・・

ここで『駄目だ!』とは言えなかった。

先生の身の安全を考えるとショウ程の適任者は居ないのだ。

渋面を浮かべた清和の表情に、ショウが背中が凍り付く様な思いをしている事にも、

鈍感な諒一が、気付く事はなかった・・・・

コンコン♪

ノックの音がして、静かにドアが開かれた。

そこに現れたのは、回診に来た明和総合病院でも1・2を争う美形の、深津DRであった。

「氷川DR、ご気分は如何ですか〜?」

「はい、もうスッカリ良くって! 今も、何時退院出来るのかな? なんて話していた所なんです」

「そうなんですか、それは良い事ですね、でも退院はもう少し、経過を見てからにして欲しいですね。」

「そうですか、まだ退院の許可は下りませんか?」

「でも、そんなに先の事でも無いでしょう。」

「じゃ〜ぁ、氷川DR患部を診せて頂きましょうか」

その言葉に、清和は態と咳払いを一つ・・・・

「清和さん、俺チョッと売店に行ってきます。」

慌てた素振りのショウの台詞に

「あぁ、解った」

本当に、簡素な清和の返事が聞こえて来たのだった。

諒一はパジャマのボタンを外すと、胸部の傷を深津DRに診てもらっていた。

「痛みはありますか?」

「いいえ、もう痛みはありません」

「そうですか、此処なんかは如何ですか?」

諒一の身体をいやらしく撫で回すように動く深津の手を剣呑な眼光で、睨み据えなが

ら清和は、

『俺が、先生の病状を診る事が出来たら、こんな奴に、好き勝手に先生の身体に触れさせたりしないのに』己の無力さに打ちひしがれている清和であった。

清和が苦悶に耐え忍んでいる間に、諒一の回診も無事?に済み、

深津DRが笑顔と共に、

「氷川DR、お大事に」との言葉を残して病室を後にした。

それを待っていたかのように!

側で、回診を見守っていた清和が諒一を後ろからそっと抱きしめ、くぐもり声で

「先生!」と呟いていた。

「どうしたの清和くん?」

清和の声に抱き締められている手を握り締め問いかけた諒一に

「先生、誰にも肌を晒すな! 晒さないでくれ!俺の忍耐が悲鳴を上げている」

珍しく、弱音を吐いた清和に

「なに?清和くん? 肌を晒すなって・・・僕、晒して無いと思うけど!」

「先生、今、俺以外の奴に晒していたじゃないか!」

「今・・・? 深津DRの事?あれは診察だよ〜!」

「それでも嫌だ! 我慢ならない!」

「清和くん・・・それは・・・・」

返す言葉のない諒一であった。

暫く、無言で諒一を後ろから抱きしめていた清和が、思い詰めた様な表情で

諒一の唇にそっと触れるようなキスを落とした時!

ノックも無く、病室のドアが行き成り開かれ、腕に書類の束を抱えた、

医事課の『薫くん』こと、久保田薫が、

驚きの表情で・・・顔色を無くして立ちすくんでいた。

清和は表情を変える事無く、平然とした様子で薫の顔を眺めている。

今、何が起こったのか? 把握出来ていなかった諒一も何とか立ち直り

「久保田さん、如何されたのですか?何か、僕に聞きたい事でも?」

腕に書類の束を抱えているから、カルテ記入の問い合わせだろうと問いかけた諒一に

「済みません、手が空いてなかったので・・・いきなり開けてしまって」

本当に申し訳なさそうに頭を垂れている久保田に

「良いんですよ、久保田さん。紹介しましょう! この人が僕の旦那様で「橘高清和」くんです。」

そして今度は清和に、

「清和くん、こちらが医事課の久保田さんです。何時もお世話になっているんですよ」

と、和やかに薫を紹介した。

「先生、俺はこれから仕事に戻る、また来るから、無茶な事はしないでくれよ!」

一方的に捲くし立て、踵を返し、清和は病室を出て行ってしまった。

後に残された二人は顔を見合わせ、しばらく佇んでいたが

「氷川DR? 旦那様って・・・結婚されているんですか?」

不安げな表情で問いかける久保田に

「戸籍的には無理ですよ!」と微笑みながら答えた諒一に

「それは・・・解りますが・・・・」続く言葉を濁した久保田に

「彼の、御両親もご存知ですよ。僕達の事は!」

諒一は手短に聞きたいであろう事を答えた

「氷川DRの・・・ご両親は?」

「僕は、噂の通りの施設育ちですし、養父母とは・・・僕の結婚話が消滅してから音信不通状態で・・・・」

「済みません、失礼な事聞いてしまって!」

「いいえ、構いませんよ。気になさらないで下さい!」

気を取り直しかけた久保田が!

「今の彼、仕事だって言ってましたよね。これから出勤で間に合うんですか?」

「あっ!清和くんですか? 仕事は信頼して任せられる方が、いますから、困らな

いんじゃないかな?」

「信頼して任す・・・? あの若さで、管理職なんですか?」驚きの声を上げる薫に

「清和くんは、眞鍋組の二代目組長です」

「ひぃ・ひ・氷・氷川DR! じゃぁ〜!先生は組長の奥方? 

だから・・・こんな特別室に入院されているんですか―――」

パニック状態の久保田に、

「僕は、大部屋にでも移りたいと言っているのですが聞いてくれないんですよ」

そこに再びドアが開き、一礼してショウが入って来た。 

「ショウくん、こちら久保田薫さんです」

「はい、先ほど清和さんに久保田さんが病室に居られるのはお聞きしました、先生も退屈でしょうから、久保田さん、ごゆっくりしていって下さいと仰ってました。」

普段恐ろしく狭量の清和が寛容な事で・・・と

ショウが不思議に思っても無理の無い事であるが・・・

清和は、久保田が諒一に迫る事は無いと踏んでいた。

自分の感に間違いなければ、

彼の恋人は男性だと確信している。

何故なら・・・先程のキスシーンを見た、

久保田から清和が感じたのは、驚きだけだった。

同姓のキスシーンを目にした、嫌悪感が全く感じられなかったのだ。

だから、清和は久保田を諒一の側に居るのに難色を示さなかったのだ。

これが深津DRなら、間違っても二人きりにして病室を出る様な事は、しなかったで

あろう。

深津DRを嫌悪している清和としては・・・

諒一とショウ、そして久保田が職務を忘れて、雑談に華を咲かせている所に、

コンコン♪とノックの音がして、

「氷川DR、如何ですか、お身体の方は?」

静かに開かれたドアから、優しい声を発して整形外科の芝DRが回診に来たのだった。

「おゃ!久保田くん、ここで何をしているんですか?」

「えっ!な・な・何ですか? 芝DR。」

久保田の慌てた感じの対応に、おやっと感じたショウは、それでも何食わぬ顔でのた

まった、

「久保田さんは、氷川先生に何か聞きにいらっしゃられて、お茶でも如何ですか?

と、お誘いしている所なんです! 芝DRも如何ですか?」

極道の世界を軽やかに泳いでいるショウには、一分の隙もなかった。

「氷川DR!では、また暫くしたら回診に来ます。久保田さんもごゆっくり」

芝DRは、さり気なく病室を後にしたのだが相手が悪かった!

諒一だけなら、気付く事も無かったであろうに・・・

「久保田さんの恋人、今の方ですね?」

ショウの問いかけは、確信したものであった。

「エ〜ッ、ショウくん何言ってるの?」

意味が解らず問いかける諒一に

「先程の先生の目付きが、こちらを威嚇していました。

多分、牽制していたんだと、違いますか?」

ショウに断言された久保田は、

「良く気付きましたね。」と溜め息にも似た声を発した。

「はい、身近に同じような目付きをしている方がいますから」

お茶らけたショウの返事に

「仰るとおり、僕の恋人は・・・芝DRです」

「え――――っ、本当ですか?」

心底信じられないとひとり驚いている諒一に

「そんなに、信じられませんか?」

優しく訪ねた久保田に、

「久保田さんには、可愛い女性の恋人がいるんだ、と思っていました。」

「何故?」

「残業でも、何時も楽しそうにお仕事しているから!プライベートが充実しているんだとは思っていましたが・・・芝DRとは・・・」

「もう、これでお互いの相手もバレてしまった事ですし、今度は、悩みでも聞いてもらおうかな?」

久保田が明るい声で問いかけると

「はい、何でも相談に乗りますよ、役にはたたないでしょうが、気晴らしには、なるかもしれませんし」と諒一がにこやかに答えていた。

「さ〜ぁ、それでは仕事に復帰します」と一言、言い置いて

久保田は本来の仕事に戻っていった。

「先生、思ってもいない所に、お話の合う方がいましたね!」

微笑みながら話しかけてくるショウに

「本当ですね。今度久保田さんに手料理のお話でも聞いてみようかな?」

楽しそうに答える諒一の姿があった。










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